久々の更新!!

久々に更新です!!



何から書けばいいかわからないので、
自分の今の気持ちを正直に!!
愚痴発散です!!思えば、そのためのブログでしたしね!!




帰りたいですね。米国に。
割とマジで!!
逃げられないこの性分をなんとかしたいです。
なんなんでしょうね、このジレンマは。
日本は本当に窮屈なのです。
なんなんだか、本当に。




はぁーっ!!!!
っよっし!!頑張ります!!

体力の限界は精神の限界へ直結しているのです

いやぁ、なんだか数日前から偏頭痛がひどくなって、
これはまずいと思って足ツボにいったのです。



そうすると、無意識のうちにストレスやら疲れやら溜まっていたようで
それがどっと溢れかえってきたとか!



25歳目前にしてまさかこんな・・・って感じです。
しかし足ツボに行ったら、すごい体調もよくなりました!!
これは定期的にいかないとですね!!


例えば、寝ていないと体が酸化して0.08%のアルコールが体に廻っている
ことになります。これは米国では飲酒運転に該当する量です。
お酒が廻っている人がはたして仕事ができるのか?


精神が体力を超えてしまうということは良くないこと。
今回で思い知りましたー。

あなたにとって「永遠の愛」とは、どんなものですか?←その人の幸せのために、最後まで笑顔でいられる


映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』見たい!
あなたにとって「永遠の愛」とは、どんなものですか?



「愛」とは難しいお題ですね!!
ましてや「永遠の愛」なんぞ無いんじゃないかって思ってる僕としては
難しいお題この上無しです。



永遠の愛って、言うならば
その相手の幸せのために自分を喜んで犠牲にできる、その精神にあると思うのです。その相手に最後まで笑顔を見せてあげることが良くも悪くも「永遠の愛」なのではと思います。



自身の幸せより相手の幸せを願った時、
そして、それでも自分が幸せだと思った時。




ううーん、書いていて恥ずかしい!w

休みが無いと心が持たない

最近そう感じますねー。



ここの概念ってけっこう人によって違うのですが、
「遊ぶとき遊ぶ」の遊ぶときが無い気がしてます・・・



まぁ、提携すると起こりえる弊害ですね。
なんだかよくない。

GOOGLE+1は少々強引すぎだと思う

今「異様な」流行り方を見せているGOOGLE+1


GMailなど利用している方は友達などからJoinメールがきていると思います。


メーラーとリンクした、というよりは強制リンクしている
このソーシャルメディアは日本では恐らく流行るまでに時間がかかるでしょう。



GOOGLE+1はいうなれば「Gmailでメールのやり取りをした相手と小規模のコミュニティを形成できる」というものであり、決して「友達を増やす」ツールではないです。


日本の位置づけはこんな感じと思っていただけばよいでしょうか。

【オープン(開放的)】

  • mixi(知らない相手でもマイミクになることが多い)
  • Twitter(相互フォローをしない限りは一方通行だが母数が多い)
  • facebook(友達が友達を呼ぶケースが多い。知らない人とフレンドにならない)
  • GOOGLE+1(メールのやり取りなどが最初の条件)


【クローズド(閉鎖的)】



実はかなり理にかなったスタイルをGOOGLE+1はとっており、
知り合いからメールで参加要望がデフォルトだと強制的にいくので
参加の拒否率がかなり低いのだ。
メーラーとくっついてるとは厄介なものである。


そして、恐らく企業参入は以下に気づいた時にスタートする。
「おい、+1とSEOが強く結びついてるぞ。」
今のうちに+1ボタンを押させることをお勧めします。

あなたは10年前、何をしていましたか?←それは2001年、僕が14歳でした。


映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』見たい!
あなたは10年前、何をしていましたか?



あれから10年なのですね。


クラスの女の子がハリーポッターの話をしてたり
本を持ってたりしてた記憶があります。



10年前は、今もですが何かにつけてかっこつけていました。
人生初の彼女ができたり、
「自分って喧嘩強いんじゃないか」と思って調子に乗ったら
先輩方々にボコボコにされ情けないキャラに定着したり、
目立つ勇気もない癖に目立ちたくて学校で一番早く携帯を手に入れたり、



あの時はよくわかんなかったのですが、今ならわかります。
僕は10年前は「特別」になりたかったのです。





ダニエル・ラドクリフは幼い子供から大人に成長した。
しかしハリーポッターは変わらぬ興奮と面白さを10年間も続けた。




恐ろしいのは、僕も10年前と同様今も「特別」に
なりたがっているということです。
こんな恐ろしい魔法がこの世にはあったわけです。